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中小企業と…意思決定と…デザインと…(メモ-1) [問題意識]

「中小企業とデザイン」というテーマで書かれた書籍やセミナーを何度となく目にしてきた。参加したオーディエンスは意気揚々と帰路に着いたり、翌朝から本の事例を実践しようと試みる。…が、その後そういう流れで起こしたアクションに結果がついてきた…という話しは聞くことがほとんどない。大手に比べれば取り回しのしやすいスケールの組織であっても、そこが、その担当者にとっての仕事場という環境であるのだから、内部から変化を起こすのは、それは並大抵ではいかない。それが真相なのだろうと思う。

中小企業と一口に言ってしまっているが、実のところは千差万別。事業内容から、組織体系、取引先など多彩で多様な立ち位置で、それぞれのビジネスを継続する道を探りながら、雇用創出と顧客満足を積み重ねてきている。中小企業の、それぞれに抱えるデザインニーズに対して、どうアプローチするのがベターだろうか。毎回悩む問題だけれど、もう少し体系づけて考えられないだろうか…とも思う。漢方の世界では、体質と状況が異なれば同じ症状でも処方する内容が異なる…とのこと。それはヒントになりはしないだろうか。そんな思考を継続していくために、今の思考が不完全でもメモとして書いておこう。

中小企業におけるデザインニーズを考えるのだから…最初のステップは当然ながら「中小企業」「デザイン」をプラス(+)して考えなくてはならない。そしてこの解を導かねばならないが、それには「計画」を分母として割り算するのが適している。リソース、目的、目標設定、方向性、キャスティング、プロセスなど…「計画」が、仮の案であっても、なければ何事もスタートできない。とはいえ、ここが抜けてしまっていてデザイナーといきなりお見合いしてしまったりするケースも見聞きしてきた。この部分の支援がもっと必要だろうと思う。

このエントリータイトル末尾に「(メモ-1)」と付けた。2を「意思決定と…」で、3を「デザインと」…という内容で時間を見つけてメモしてみようと思う。

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デザインの領域から「支援」について考え中 [問題意識]

書店でぱっと手にとったその本には、「どうしたらあの人の役に立てるのだろう?」と書かれた帯が巻いてあった。

『人を助けるとはどういうことか 〜本当の協力関係をつくる7つの原則〜』というタイトルのその本は、監訳者の序文によると「支援学(HELPING)」の平易な入門書とのこと。

第1章は支援のさまざまな形を、第2章は経済や演劇の場面から得られたヒントによる考察、第3章は支援の初期段階の不安定さについて、第4章は三種類の支援の役割について、第5章は支援関係構築のポイント、第6章はそれらの詳細な事例について、第7〜8章はチームワークの本質や、リーダーシップ、組織変革のマネジメント等について、第9章は支援関係における7つの原則とコツ…となっていた。目次を見た瞬間に即レジへ。


人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則

人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則

  • 作者: エドガー・H・シャイン
  • 出版社/メーカー: 英治出版
  • 発売日: 2009/08/08
  • メディア: 単行本


私にとっては、とてもタイムリーな内容。読後は、この1年程、デザインワーク、デザインディレクターワークの両方で「もやもや感」を抱いていたいくつもの事柄に、とても多くのヒントをもらうことになった。

自分の行っていることが、相手の支援につながっていて、またその逆もある…という、公平な関係を築き、どんな支援が必要か明らかにするプロセス・コンサルタント的役割の重要さについて書かれた部分からは、ホスピタリティ・マネジメントの基本となっている主客同一を想い出した。

デザインするだけでは結果的にクライアントの「支援」に繋がらない多くの事例を体験してきた。とはいえ、ドメインはデザインだ。デザインに軸足を置いた領域から、もっと踏み込んで「支援」について考え始めねば…と年末に自覚した。ここをイージーに通過してしまうことは、その後のクリエイションを縮ませてしまうだろうから…。

この内容だけで、同様に感じている人達とオフ会したい!…と思う仕事初めの日でした。

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「売れるデザイン」…という言葉の危険度? [問題意識]

「売れるデザイン」…という言葉の使い方がある。「これは○○なアイテムについての△△な意味ですよ…」という補足があれば良いのだけれど、そういう前置きも無く、当たり前のように口するデザイン関係者さえいたりするのでギョッとすることがある。このフレーズを私に向って問う、中小製造業の経営者やメーカーの方には「そんなものはありません!」…とキッパリ言うことにしている。こういう場合、デザインだけがバージョンアップすれば売上が上がる…などと、とんでもない思い違いをしてることがあるからだ。

書くまでも無いことだけど、実際にその企業が販売しているのはる「製品やサービス」であって「デザイン」そのものではない。もし「デザイン」そのものを売っているのだとすれば、それはデザイン会社になってしまう。もちろん、このフレーズを口にする人もそういう意味で言ってないというのは、私も重々承知している。けれど、この曖昧な言葉の感触が、あちこちで問題を引き起こしている気がしてならない。言い方を「売れる商品」と変えても同様。「何を?」…については「売れるもの」、「誰に?」…については「欲しい人に」…というような答えでは話しにならないのだけど、まだまだ多いのが現実だったりする。

また、このフレーズに潜む問題は「精神と肉体」…という言い回しのように、実際は不可分のものを、あたかも別物のように捉えさせてしまうことにも繋がり、勘違いも誘発してしまうので、実はとても危険なことだと思っている。

世の中、ニーズが見えれば仕掛けが成り立つ訳で、こういう場合は、聞き手に響くタイトルで中小企業向けのセミナー等を開催して集客し…というのが常套手段だ。とはいえ、全てがうまくは運ばない。要因はどちらの側にもあるが、結果として羽ばたくケースもあれば、後味の悪い思いをするケースもある。中小企業の人達の側からすれば、デザインの世界は遠く見えている。そういう意味では情報格差がある状態でのセミナーはなんともアンフェアーな感じが否めない。

「売れるデザイン」…に繋がるであろう更に突っ込んだ話し(モノ作り系助成金、企業と外部デザイナーとのミスマッチ、若手デザイナーからの搾取の構造等々)…は、ブログなので書けない。あちこちの地雷を踏みかねないからだ。…などということが、ここ数日頭の中をぐるぐるしてしまった。朝から晩まで都議選関連で騒がしい時節だからだろうか…。

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「衣=心の豊かさ」がテーマのフィールドプロジェクト報告展 by 眞田岳彦さん [問題意識]

もわもわ…としたこの画像を見て、すぐに何だか判る人は少ないのではないだろうか?。
もわもわ…の正体は積乱雲でもなければ、綿飴でもない。「コットン」だ。

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3月8日(日)〜2009年3月22日(日)の期間で、生活工房(東京世田谷)にて開催されている、[ 眞田岳彦セタガヤーンプロジェクト‘09 VOL.2『棉の庭』 ]展を見てきた。画像は、そこで展示されていたコットンの塊だ(真田さんの許可を得て撮影させていただきました)。

展示スペース内で広く面積を埋めているのが、『糸の森展』での展示。これは、世田谷区民の皆さんが、苗木から棉を栽培〜収穫、糸紡ぎまでを体験して仕上げた綿棉の糸によるインスタレーション。区立の中学、小学校等も多数参加しての試み。母校である池之上小学校も参加してたことも、なんだか嬉しい!。
それぞれが紡いだ糸が垂れた床面には、それぞれの「一言メッセージ」が。全ては読みきれなかったけれど、「体験」を通して得られた「生の声」からは、笑顔が見えるようです。

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展示は他にも、『NIPPON Cotton Exhibition《日本棉業博覧会》』と題して、日本各地の綿棉文化・綿棉産業の一端が紹介されていたり、プロジェクトの1年間の記録が『棉の庭 記録展』として展示されています。

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今回の展示から、先日知った言葉『農業は6次産業だ!』…が頭をよぎります。農業経営の新しい形として今村奈良臣(いまむら ならおみ)さんが提唱されている言葉…とのこと。「農業」自体は1次産業ですが、2次である「加工」による付加価値、3次である「サービス」による付加価値で、『1次産業×2次産業×3次産業=6次産業』…となり、加工と流通の複合化による相乗効果が得られる…とも。

真田さんは、イッセイ・ミヤケを経て、衣服造形家として活動しているデザイナーです。「加工と流通の複合化」というメリットが活かされているアパレル産業をクリエイティブの出発点としながら、表現のためのマテリアルである綿を「栽培と加工=豊かな体験」という切り口で原点を見つめながら、問題提起がなされてます。「デザインの社会性」…ということを改めて考えさせられました。

真田さんの仕事は、人もモノも時間も…対象となる物は全て「糸」まで戻って編み直しているように見えます。リスペクトしているデザイナーの一人です(ここ数年ご無沙汰になってしまっていますが…)。

明後日の15日(日)と20日(金)は、『糸の森をつくる授業(ワークショップ)』も開かれる…とのこと。場所も三軒茶屋駅真上のキャロットタワーです。もう定員に達しているのかもしれませんが、興味のある方は、オフォシャルサイトを参照ください。

生活工房|イベント情報・詳細|眞田岳彦セタガヤーンプロジェクト‘09 VOL.2 『棉の庭』

TAKEHIKO SANADA Web Site

タグ:デザイン展
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情報を「発火」に導くことと、パーティションの向こうにある「情報」 [問題意識]

情報化社会…という時の「情報」という日本語には、英語で言えばちょっとニュアンスの異なる「情報」に類する言葉が隠れている…と、年齢的には大先輩にあたる知人の方から数年前にアドバイスされた。
戦略的にモノゴトを捉えるのであれば、 information // knowledge // intelligence // wisdom …の、それぞれについて収集 / 吟味 / 考慮 / 活用せよ…というもの。

とはいえ、日常生活上でもネット上でも溢れているさまざまな情報は、ピックアップした4種類以外に、通常もっと「情報」っぽく感じている news // data // notice // scoop // story …などが混じって流れているので、いざ「振り分け」…と言っても簡単ではないし、盲目的に作業に没頭しても有益とは言えない。「活用する目的」と「その先で引き起こしたい何か」に、「人肌で感じられるか」…がポイントだと、常々思っている。

今日出合った2つの記事からは、そういう社会の中での「情報」の取り組みとしてはとても共感できる事例だったのでピックアップ。

1つは、元日経デザイン編集長の勝尾さんによるデザイナー廣村正彰さんへのインタビュー記事。「情報伝達」と「認知」、それぞれのスピードを意識したデザインを「発火」というキーワードで語られていた。とても納得!。

廣村 正彰【3】「あ、これ欲しいな」と受け取る瞬間を増やす:NBonline


もう一つは、どこの組織でも当てはまると思われる「人の中に入っているため、見えにくく共有しにくい」…という類いの情報活用についての乃村工藝社の事例。
組織横断形のチーム編成については、「形」と「かけ声」はあっても、評価制度や権限委譲の問題も重なり、とかく「内的」になりがちな案件を「展示会」というステージで「外向きにも発信」というスタイルをとるこことで、次へのクリエイティブにつなげていく…という取り組み。展示会を見ていないので推測だけれど、「作品」でなく「人」にフォーカスされているのが重要…と受け取りました。

乃村工藝社,社員の能力を見える化する社内展示会を開催、競争意識向上や部門横断型のチーム編成に生かす:ITpro


こういう種類のデザイン系の情報が増えることと願いつつ…のエントリー。

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東京でのデザイン見本市がフォーカスすべきことは…? [問題意識]

「今年の100%は…」「今年のTideは…」と、デザインウィークに対してのポジティブ & ネガティブな意見をいろいろ聞いた(…聞こえてきた含む)。

ちょっと話題をスライドすると…
私も会員になっている「社団法人インダストリアルデザイナー協会(JIDA)」内でも、「ナー」なのか「ン」なのか…という議論があった。これは我々の団体が「デザイン協会」なのか「デザイナー協会」についての議論…という意味。
産デ振やDA以外でもさまざまな組織/団体のある中、会の成り立ちや歴史からすると「職能団体」であるため「デザインそのものではなく、人材(デザイナー)にフォーカスすべき」との立ち位置から、現時点では「ナー協会で行く!」ということになっている。
まあ、それ以前に「インダストリアル」か「プロダクト」なのかと名称についても意見が分かれているし、「G8(デザイン8団体)を1つに!」とか、「今の時代で社団法人の必要はあるのか!」など、根幹に関する問題提起も少なくない。それらについては、世代間の価値観のギャップも加わり、意見/所感は盛り沢山…ということになっている。

話しを戻すと…
デザイン系の見本市は「場」であり「メディア」だ。雑誌を企画して創刊する側と、そこでのコンテンツを利用する側(広告主)、楽しむ側(読者)の立場の違いに例えると判りやすいのだろう。
「見本市」…であれば、バイイングを行いたいバイヤーさんにとっては「商談の場」。デザイン外注先を探索中のメーカー担当者には「デザイナー発掘の場」。出展メーカーにとっては「新商品お披露目の場」。デザイナーにとっては「新作発表の場」…等々。どの立場からも「想い=期待値」と「現状=展示内容」についてはいろいろと感じることが多いと思う。
プロダクトデザインの世界では、1つの製品で全てのユーザーを満足させることは不可能。それは見本市に付いても同様だろう。…であれば、メディアであるそれぞれの見本市についての「顧客」が誰で、その人達が感じる「価値」をアップさせることにフォーカスできているか…を、利用者の一人であるデザイナー側も吟味して選択すべきなのだろうし、メディア側も今以上に独自色を出すべき…とも思う。

以前に、JIDA関連のイベントで、某家電メーカーS社のデザイン部長(白物系)さんと話しをさせていただいた際、その方は「(プロダクト)デザインの問題は産業化(映画や音楽のような)していないこと!」と言い切っておられた。まったく同感だった。エネルギー資源も乏しく、食料も輸入に頼らざるを得ず、少子化で次世代を担う人材が薄い…我が日本。クリエイティブな産業以外に何があるというのだろう…というのに。
デザインへのニーズが広がる中、産業化のための見本市が切り開いてける部分は多いと思う。それ以上にデザイナー側の発信力、魅力も重要なのだけれど…。

話しは変わって…
PingMag - 東京発 「デザイン&ものづくり」 マガジン>> Archive >> ベスト・オブ・デザインウィーク2008』を読んでいたら、記事の終わりに、PingMagさんのFlickrセレクションへのリンクを発見。129枚の画像の中に、私の出展作もピックアップしていただいておりました(^_^;)。感謝です。

Design Week 2008 - a set on Flickr ( by PingMag )

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高校受験には3DCADが必要なのでは? [問題意識]

高校受験の年にあたる息子がいる我が家。0時に近くなった頃、唐突に「空間図形の意味がわからん!。立体が想像できない!」と質問が飛んで来た。見ると塾の問題のよう。

正四面体OABCの、辺OCを回転軸としてできる立体の体積を出し…云々…という類いの問題。

だからさぁ〜と紙に簡単なスケッチを書いて、1つめの問題の解説をする。…が、説明には納得したものの「まだ立体がイメージできない」とのこと。仕方がないので、手元にあったもう期限が過ぎて不要になった展覧会のDMに、フリーハンドで作図し、ハサミでチョキチョキ。簡単なペーパーモデルをつくり説明。なんとか理解した模様。

でも、次がやっかいだった。正八面体の各辺の中点を全て結んで出来る立体の体積…という設問そのものではなく、その「切り取られた立体」をイメージしてもらうのことが…。しまいには、見透かされて、3DCADで出来ないの?…ときた。

まったくぅ〜と言いながら、休日の深夜にRhinoを起動。正八面体を作るところから、ブーリアン演算で立体を切り取るまでのプロセスを見せながら説明する羽目に…。「おぉ、そういう訳ねぇ」と、人を使っておきながら、上から目線調の物言い。

口が滑って、確かこういう準正多面体も名前があったはずだけど忘れた…と言ってしまったところ、食い付かれてしまい、Wikiで検索。「へぇ、立方八面体というのかぁ…メモメモ…外接球の半径は、一辺を2とすると2!…まじで〜」と、また変なところに食い付いた。挙げ句、そのソフトでやってみてと。

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グリグリ動かしながら説明できる3DCADは、こういう立体図形の説明にはベストだし、家族のコミュニケーションという意味では良かったのかもしれないが、これを平日の夜にやられても、時間的に面倒見切れない。

先日、SolidWorksジャパンの社長さんから、ノルウェー(…と記憶)では、国の政策として、小学校にSolidWorksが導入されたと聞いた。文部科学省も、こういうところに予算を割くべきでは無いのか?。また、予算を割いてもすぐに教える人がいないのであれば、せめて進学塾が導入をすべきじゃないだろうか。立体への理解と興味が増すのは目に見えている。CADベンダーも本気で中学からの3DCAD導入への動きを検討して欲しいと思う。

最後には、「立方八面体ってデザインに使えんじゃない?」ときた。はいはい。ご助言、誠にありがとうございますぅ…って、もう寝ればぁ!。ふぅ〜。

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「ガラパゴス現象」の意味をポジティブなものに変えなくては!…の件 [問題意識]

最近の「ガラパゴス」という単語の使われ方には、ちょっとがっかり…というか残念な気がしている。例えば、次のような記事での使われ方だ。
【IT Japan】「日本はガラパゴス化現象から脱せよ」、NRIの藤沼会長兼社長が熱演:ITpro
確かに、現在の日本の状況をガラパゴス諸島のイグアナに例えた比喩としては、判りやすく伝わるし、その通りだと感じるのだが、サボテンを「はみはみ」と食べて暮らしてるイグアナの姿を思い浮かべると、イグアナファンとしては合点がいかない。彼らは環境とセットで共生している。人は、その環境を自ら選択してきたのだ。まずそれが違う!…と。
ただ、藤沼さんが締めくくったとして紹介されている言葉(「日本企業は自ら第三の開国をしていくべきだろう」)は同感だ。

次に目についたニュースなどは、「外のことは知らなかった」系の出来事。「日本の常識=世界の非常識」につながってしまうような類いの話しもガラパゴス化現象とは無縁ではないだろう。
イー・モバイルCMに批判殺到 「猿」がオバマ氏連想 - MSN産経ニュース
記事では、『このCMが放送開始前に動画サイトのユーチューブを通じて流れ、ブログで日本在住外国人から批判が続出。日本のオバマ氏の応援サイトも「アメリカの政治情勢のもと人種差別とみなされる」と抗議した』…とある。コアとなるプロダクトやサービスでケチがついたのなら仕方がないが、まったくそうではないからこそ、余計に残念だ。

じゃあ、周りを海で囲まれた状況が全てネガティブなのか…といえば、まったくそうではない。時勢や潮流から「国際競争力」と「国際共生力」を発揮すべきところが、できていない…という問題意識が「ガラパゴス現象」という言葉に現れてるだけだ。

下川さん(日経デザイン編集長)ブログ『デザインの雫』で、共感できる記事を見つけた。日本の伝統工芸や地場産業の欧州市場開拓についてのもので、日本の製品やブランドが欧州の国際見本市でも存在感を増しつつある現状が記されている。下記の引用部分は、その文章の最後を締めている段落から。
080702 日本の生活文化を欧州へ

…(略)…我々が海外の市場をターゲットにするとき、こうした社会の変化に目を向けるべきだろう。社会が変化するとき、新しいニーズが生まれる。その際には、人々の問題を根本から解決してくれるデザインが求められる。これまでに使ってきた製品の延長線上ではなく、選択の幅は広くなるはずだ。伝統的な生活文化に無理に入っていこうと思うより、変化の隙間をこじ開ける方が案外楽かもしれない。

[デザインの雫(日経デザイン編集長・日記)より引用]
日本の環境(地理/言語/歴史/文化)に根を張っているガラパゴス的要素は、今に始まったことではないし、変えられるものでもない。でも、そういう環境だからこそ育んでこれたものを大事に、外へ向って提案していけばいいのだ。もちろん、共生力を持った上で。

現に、本当のガラパゴス諸島のサウスプラザ島では、ウミイグアナとリクイグアナの交雑によって、両方の特性を保持した新種が最近生まれている(ハイブリッドイグアナ - Wikipedia)。
「ガラパゴス現象」という単語の使われ方が、ネガティブな意味でなく、ポジティブなものに変わった時は、きっと日本の「国際競争力」と「国際共生力」が上がっている時だと思う。

補足:巳年生まれなので、は虫類には肩入れすることにしている…とうのも事実だけど。

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「外来生物法」がらみのニュースを見聞きするたびに思う事… [問題意識]

子年だからだろうか…。記事を読みながら、考えてしまったニュース。
【異郷に暮らす生き物たち】ヌートリア (1/2ページ) - MSN産経ニュース
カピバラは知っていたけれど、ヌートリアというのは知らなかった。大きいカテゴリーでは「齧歯目」のようなので、親戚くらいかもしれない。そういう大型のネズミが、西日本で生息域を広げ、作物へ被害をもたらしているために、防除実施計画が提出され、国は防除の確認と認定を行った…というのがニュースの骨子だ。
軍服用の毛皮として1939年頃に輸入し、飼育が奨励された(ヌートリア - Wikipedia)ともある。

「外来生物法」がらみのニュースは年々増える。魚や昆虫に始まり、ほ乳類までさまざまな生き物で、この手のニュースを見聞きする気がする。ただ、それらの原因の大部分は、人の営みが絡んでいる。船のバラスト水の問題などのように、国境を越えてしまうような、根本的な手を打ちにくい案件も多い。
もとより、国境など関係のない彼らからすれば、ただひたすらに種を繋いでいるだけだ。悪意は無い。…とはいえ、人も生き物。命あるもの(肉、魚、植物等)を食べて命をつないでいることに変わりはないから、作物を荒らされたままでは死活問題で、こちらも放ってはおけない。

ヌートリア問題が東日本だったら…東京湾に面した「ネズミのワンダーランド」のすぐ近くで、大型のネズミが駆除されていくことになりかねない…と想像してしまった。なんとも暗澹たる気持ちだ。
立場と立ち位置が異なり、問題を認識するステージや位相が異なり、価値観や意義が入り乱れることが想像できてしまう問題が、年々増えていく。21世紀はそういう時代なのかもしれない。デザインに直結する話題ではないが、そういう社会環境なのだな…と改めて考えてしまった。
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「文化は認識を左右してしまう」…という認識 [問題意識]

研究結果:日本人は「個人より全体的感情に敏感」 | WIRED VISION

『画像を見る時、西洋文化で育った人は、中心に置かれた題材をその周囲のものと切り離して捉えるが、東アジアの人は同じ画像を全体的に見る。…(略)…先ごろ、米国心理学会(APA)の学術誌『Journal of Personality and Social Psychology』にこのような論文が発表された。早急な結論付けはできないが、それでもこの論文『顔を背景の中に置く:表情の認識における文化的差異』(PDFファイル)が示す結果は、文化が人間の認識の仕方を大きく左右することを改めて裏付けている(略)』…とのWIRED VISIONの記事から。

なんとなく感じていたことが、研究で裏付けられることで「カタチ」になってしまうことに怖い部分もあるけれど、文化は間違いなく認識を左右するファクターだ。デザインを仕事にしてれば、しばしば感じる事柄だ。

以前に、身体にハンディキャップを負っている知人の女性と話をしていてた際、彼女が北米でレンタカーを運転していた時のエピソードを語ってくれたことを思い出した。

彼女は車いすを使用しているが、自分で車の運転ができる。そのため、北米旅行中でも運転した。しかし勝手が違う。ちょっとトロイ運転をして、後ろからクラクションをガンガン鳴らされ、あげくの果てに信号待ちでは、後ろの運転手が降りて文句を言いにきて本気で怒ったらしい。後ろのシートに車いすを積んでいて、運転席も障害者仕様なのは一目瞭然。それでも怒るのだ。

彼女は怒られたことが「本当に嬉しかった…」と語ってくれた。こういうことは日本では起こらない。仮に同様のシーンがあっても、車いすが目に入れば、「あ、いいんです。いいんです。」と怒らずに戻ってしまう…と。
これはハンディを負っている人からすると、いつまでも心の底では平等に見てくれていない証だ…とも語ってくれた。もちろん、いろいろな考え方の人がいるので、全てのハンディを負っている人が彼女と同意見とは限らないが…。「障害者を障害者として壁を作ってしまうのは健常者側だ…」ということを語ってくれた福祉関係の知人の顔が頭をよぎった。

「国別での文化的な認識の差異」は明らかだから、ほどほどでいい。
同じ国の中でも、体験してきた文化的背景の違いから、認識が違って当たり前…という風潮になって欲しいと強く感じた。
「違う」ことを前提に歩み寄る。21世紀なのだから、そういう成熟した文化は必須だ。そういう社会になるにはどうしたらいいのだろう?…思考が空回りしている。

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