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「文化は認識を左右してしまう」…という認識 [問題意識]

研究結果:日本人は「個人より全体的感情に敏感」 | WIRED VISION

『画像を見る時、西洋文化で育った人は、中心に置かれた題材をその周囲のものと切り離して捉えるが、東アジアの人は同じ画像を全体的に見る。…(略)…先ごろ、米国心理学会(APA)の学術誌『Journal of Personality and Social Psychology』にこのような論文が発表された。早急な結論付けはできないが、それでもこの論文『顔を背景の中に置く:表情の認識における文化的差異』(PDFファイル)が示す結果は、文化が人間の認識の仕方を大きく左右することを改めて裏付けている(略)』…とのWIRED VISIONの記事から。

なんとなく感じていたことが、研究で裏付けられることで「カタチ」になってしまうことに怖い部分もあるけれど、文化は間違いなく認識を左右するファクターだ。デザインを仕事にしてれば、しばしば感じる事柄だ。

以前に、身体にハンディキャップを負っている知人の女性と話をしていてた際、彼女が北米でレンタカーを運転していた時のエピソードを語ってくれたことを思い出した。

彼女は車いすを使用しているが、自分で車の運転ができる。そのため、北米旅行中でも運転した。しかし勝手が違う。ちょっとトロイ運転をして、後ろからクラクションをガンガン鳴らされ、あげくの果てに信号待ちでは、後ろの運転手が降りて文句を言いにきて本気で怒ったらしい。後ろのシートに車いすを積んでいて、運転席も障害者仕様なのは一目瞭然。それでも怒るのだ。

彼女は怒られたことが「本当に嬉しかった…」と語ってくれた。こういうことは日本では起こらない。仮に同様のシーンがあっても、車いすが目に入れば、「あ、いいんです。いいんです。」と怒らずに戻ってしまう…と。
これはハンディを負っている人からすると、いつまでも心の底では平等に見てくれていない証だ…とも語ってくれた。もちろん、いろいろな考え方の人がいるので、全てのハンディを負っている人が彼女と同意見とは限らないが…。「障害者を障害者として壁を作ってしまうのは健常者側だ…」ということを語ってくれた福祉関係の知人の顔が頭をよぎった。

「国別での文化的な認識の差異」は明らかだから、ほどほどでいい。
同じ国の中でも、体験してきた文化的背景の違いから、認識が違って当たり前…という風潮になって欲しいと強く感じた。
「違う」ことを前提に歩み寄る。21世紀なのだから、そういう成熟した文化は必須だ。そういう社会になるにはどうしたらいいのだろう?…思考が空回りしている。

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